コペンローブ、四国に上陸する、その3。
起きたら9時でした。
距離を稼ぐために早起きしようと思ってたのに、案の定熟睡。今から急いでも大して変わりゃしないので、開き直って倉敷を散策することにしました。朝の美観地区をカメラ片手にプラプラと歩きます。
裏路地その1。
裏路地その2。
Z。きれいな色合いで思わず撮ってしまった。
あじさい。曇りの旅でしたが、こういうの見ると悪くないと思えます。
カフェエルグレコ。アニメ映画に出てきそう。
はにわ。
喫茶店へ。
行政と観光の倉敷(現在地)、重化学工業地帯の水島、繊維業の盛んな児島、交通の要所である玉島。
人口47万人の中核市。中国地方有数の大都市で、重工業、軽工業ともに盛ん。港も大きく、コンビナートが連日連夜唸りを上げている。歴史があり、戦国時代を生き残って街を開拓した古禄13家と、200年近い勢力の転換で成り上がった新禄12家の邸宅が、今も美観地区に残っている。
アクション小説の舞台にしたら盛り上がりそうな場所だなあなどと考えながら、スマホ片手に茶を啜ります。水島コンビナートの夜景を拝み損ねたので、ここはまたじっくり観光しに来てみたいと思います。今度は瀬戸大橋を渡ってみよう。
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自転車乗りの聖地、空を飛ぶように走る橋、とまで言われていたので一度走ってみたかったのですが、残念ながらこの日は曇りでした。遠景がボヤけて、景色が狭く感じます。こりゃ意地でも昨日深夜に出発して、明るいうちに着いておくべきだった…。
愛媛といえば声優界の誇るヘッド水樹奈々の生誕地ですが、歴史的にも観光的にも、重要なのはやはり道後温泉でしょう。大学時代、授業をサボりまくってはいましたが一応国文学科で上代文学をやっていた人間なので、今回ちょっと古書の記述について調べてみました。
クソ長いので、時間を持て余している人がいましたらどうぞ。
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内山真龍(1821年没・浜松出身)という国学者は、愛比売(エヒメ)を湯姫(ユヒメ)から転じたものではないかと書き記したそうです。現在では上代特殊仮名遣いの音韻変化研究が進み、湯が由来説は否定されているようですが、これは字面的にもきれいな説だなと思います。湯姫。湯上り肌にバスタオルを巻いた水樹奈々の姿が脳裏に浮かんで来ませんか?来ない?失礼。ちなみに内山真龍の記事は下記ブログから参照させていただきました。
以降、古書に出てくる道後温泉の記述をまとめます。神話から続く伊予の湯のロマンを感じ取っていただければ幸いです。
日本書紀(720年成立)には、舒明天皇(第34代)、斉明天皇(第37代)、天智天皇(第38代・中大兄皇子・672年没)、天武天皇(第40代)が、伊予の湯に行幸したとの記述があります。7世紀前半の記事ですね。
伊予国風土記(江戸時代成立、現存しないため仙覚による別書の逸文に寄る)では、大国主が少彦名命との国造りの旅の途中、速水の湯(豊後国速水郡=別府温泉)から管を通して湯を引いたとの記述あります。天孫降臨、国譲り、天皇以前の話ですので、こりゃもう完全に神話ですね。
また、伊予国風土記逸文には、景行天皇(第12代)と后、仲哀天皇(第14代)と神功皇后、596年には聖徳太子(第33代推古天皇の摂政・622年没)が来浴、ともあります。聖徳太子が入りに来たという逸話は、年の記載まであるのでわりと信憑性が高いと見る方が多いようです。
それにしても国造りの時代に別府から引いて出来たのが道後温泉なら別府が一番古いんじゃないかと思うんですが…
ここまで調べて知ったのですが、道後温泉を訪れた第34代の舒明天皇の諱は田村というそうです。ゆかりんは福岡出身。別府温泉は大分ですが、神話の時代、九州から湯を引いたものが道後温泉との伝承もあるので、ゆかりんと水樹奈々は神話の時代から結ばれいた可能性が微粒子レベルで存在する…?
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最後に。日本には三古湯と呼ばれる、最古とされる温泉がいくつかありますが、それらの中でどの温泉が一番古いかを理詰めで結論づけているサイトがありましたので紹介します。国文学的にはどうだかわかりませんが、いろんな視点からあれこれ考察されていておもしろいです。湯の峰温泉や白浜温泉に行ってみたくなりました。
日本最古の温泉考